失われる15年

2月15日発売の週刊ダイヤモンドの野口悠紀雄氏の連載、「超」整理日記(連載500回記念拡大判)を読み、その内容は非常に正鵠を得ているように感じた。

「超」要約すると、日本は製造業を中心とした産業構造を転換しなければならない。そのベクトルは「教育」と「先端金融」である。さもなくば、日本は更に15年低迷するだろう。

その翌々週号の特集は「ソニー・パナソニックVSサムスン」で、半導体やデジタル家電分野でサムスン電子の躍進の前に日本のメーカーが如何に苦境に立たされているかを詳にしている。日本市場ではSamsungが受け入れられずに撤退したため、世界の趨勢が様変わりしていることを知るのは重要だ。

一方で日本政府や日本の消費者は「ものづくり大国日本」の幻想に未だ酔いしれ、エコポイントやエコカー補助金/減税などで製造業を保護している現状にある。

なぜなら、これらが苦境に立たされているのは「円高」が原因であり、嵐が過ぎ去れば復活できると信じているからだ。しかし、むしろ2002年から2008年までの円安こそが円キャリー取引に支えられた「円安バブル」であり、これは日銀が量的緩和を継続し、金融引締めに動かなかったために生じたものである。

多くの日本人が信じている製造メーカーの技術優位性やブランド力も、韓国や中国メーカーの前に相対的に低下しており、円高を克服したとしても(可能性は低い)、復権は難しい。

技術優位性については、そもそも開発の水平分業化により、各メーカの技術が平準化している現状があり、韓国・中国メーカーが優位に転じたというより、同レベルで並んでいる状態にある。

だからこそ、デザイン力やマーケティング力が重要になるのだが、日本のメーカーにその認識があるのか非常に疑問だ。日本国内の需要低下の捌け口を新興国市場に求めるのも無理な話で、これは日本人の賃金レベルを新興国レベルに落とさなければ実現不可能である。

したがって、政府が製造業を保護し続けることは農業と同じ状況を生み出しかねないわけである。これらの事実から、日本は新たな産業構造へShift(むしろswitchか)する必要があると野口氏は説く。

既に産業構造の転換を遂げた国として、米国と英国が挙げられる。米国は教育、ITと金融、英国は金融センターとしての地位を確立している。リーマンショックにより金融の地位は日本では著しく低下してしまったが、回復が最も早かったのも米英の金融であることは事実だ。

ところで、日本でのリーマンショックの受け取られ方も興味深い。当初叫ばれた「信用不安」はいつの間にか「収益力の低下」にすり替わっている。とにかく、私の実感としても日本人の金融リテラシーは恐ろしく低い。恐らく日本独特の倫理感に依るところが大きいと思われる。

したがって、金融の専門家を養成する教育が必要であるという野口氏の主張に同意(尤も、氏は早稲田大学大学院でファイナンスを教えているので、フェアな主張ではないかもしれないが)。そして、教育分野では海外から優秀な留学生を呼び寄せなければならない。これには英語で講義を進めることが必須である。英語、頑張りましょう。だから政府には製造業保護よりもこうした新たな産業構造転換に資源を集中してほしいと願う。

ことモノにうるさい私の身の回りを見ると、韓国製SSDを積んだ中国組立のMacBook Pro、韓国Samsungのプロセッサを積んだiPhone、ドイツ開発、南アフリカ組立のVolkswagen Polo、スイス製のパテックフィリップと、日本製品が徐々に姿を消しつつある。

ハイエンド品はSharp製IH炊飯器と電子レンジのHealsioが日本製だ(ただし、5年程前に購入したきり)。デジタルカメラOLYMPUS E-P2は開発こそ日本だが、製造は中国。発売前から仕様が外部に漏れており、その調子では開発情報も中国に筒抜けだろう。私はテレビを(見ないので)持っていないが、もし持つとしたらSamsung製かもしれない。幸か不幸か日本では販売展開されていないが。

しかし、こうした状況を悲観してはいない。韓国や中国が歩んでいる道はかつて日本が歩んだ道であるに過ぎず、先んじて日本社会が進化の局面に到達したと信じているからだ。

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