K.Iwahashiが語るラグジュアリー論







【追悼】カール・ラガーフェルドが愛したオールブラックのロイヤルオーク

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'79年生まれ。1浪2留の流浪期を経て'05年に早稲田大学商学部卒業。 現在は金融業界で会社員として勤務。英文翻訳が得意。 ラグジュアリー全般に関する考察と海外発の腕時計情報をいち早くお届けします。

カール・ラガーフェルド(Karl Lagerfeld)が2019年2月19日パリで亡くなりました。

1983年よりchanel(シャネル)のクリエイティブディレクターの地位にあり、Gabrielle Chanelが亡くなって以降低迷していたシャネルの再興に大きな貢献をした人物でした。

1933年にドイツ帝国ハンブルクで生まれたカール・ラガーフェルドはパリでオートクチュールを学び、60年代にはクロエのコレクション、70年代には舞台衣装のデザインを手がけるなど多彩なキャリアを引っさげ80年代以降はシャネルのデザイナーとして活躍しました。

生み出した作品もさることながら、自身そのものがアイコニックな存在でした。ディオールのスーツを纏うために60歳過ぎから40kg超を減量し、Chrome Hearts(クロムハーツ)のジュエリーをこよなく愛する一見浮世離れした装いを愛する人でもありました。

そんな彼が長年愛した腕時計があります。

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そう、オーデマ・ピゲ(Audemars Piguet) ロイヤルオーク(Royal Oak)Aシリーズ(1973年製造)です。彼はこの時計を1976年に入手し、その後長きにわたって愛用しています。

ポートレートでは、フィアット会長の故ジャンニ・アニェッリ(Giovanni Carlo Francesco Agnelli,1921-2003)のように、シャツのカフの上から腕時計を着用していることがわかります。おそらく、ジャケットからカフが数センチ出ていないと気持ちが悪かったのでしょうね。

このロイヤルオークはケース、ブレスレットともにブラックに塗装されていました。オーデマ・ピゲは70年代にブラック仕様のロイタルオークをリリースしていないことから、ラガーフェルドが自らカスタマイズしたに違いありません。

このブラックペイントされたロイヤルオークが初めて公に登場するのが1979年4月2日に撮影されたポートレートなのです。

ご冥福をお祈りします。

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