K.Iwahashiが語るラグジュアリー論







東日本大震災後日談

アバター
WRITER
 
この記事を書いている人 - WRITER -
アバター
'79年生まれ。1浪2留の流浪期を経て'05年に早稲田大学商学部卒業。 現在は金融業界で会社員として勤務。英文翻訳が得意。 ラグジュアリー全般に関する考察と海外発の腕時計情報をいち早くお届けします。

3月11日に発生したM9.0の地震は、日数が経過しても被害の全容が未だ明らかでないほど痛ましい状態だ。発生から翌々日までほとんどテレビを見て過ごした。

地震発生時、私は世田谷区にある会社のオフィスにいたのだが、大きな揺れが相当時間続き、かつて経験した釧路沖地震の記憶がにわかに想い出された。揺られながら、iPhoneで家族の安否を確認できた。地震が治まると、途端にiPhoneは不通になった(何とも脆い文明の利器)。

テレビで東北が震源地と知る。

私はリビングに飾ったロイヤルコペンハーゲン フローラダニカの小皿が割れていないか気になり、オフィス定時にTAXIを拾って帰ろうと思い立った。しかし、とても拾える状況になく、宜なるかな、歩いて帰ることに。

オフィスから川崎市・鷺沼の実家までおよそ7.4kmなので、2時間程度で帰ることができたが、途中の梶ヶ谷〜宮前平まで真っ暗であり、停電と知る。明かりの消えた東急ストアには長蛇の列ができており、この時点で食料が不足すると悟った。宮前平駅前のコンビニが唯一通電しており、陳列棚にはほとんど食料が無い。無い中で私も幾許かの夕食用の食料を購入して実家に到着。

幸い、実家のマンションには自家発電設備があるようで、明かりが灯っており安堵した。

合流した妻から小皿の無事を知り、さらに安堵したが、後に被災地の凄惨さを知るにつれ、それが何と矮小な心配事かということを痛烈に恥じた。

23時頃には日本橋から歩いて帰ってきた義弟も到着し、近くの親族の無事を確認し私は深い眠りにつく。

翌日横浜の自宅に帰ったが、さしたる被害もなく、冷蔵庫が大きく前進した程度であったのは幸いであった。

土日は被害の状況をテレビで確認。日曜の夜には輪番停電なるものが実施されることを知った。

月曜日、朝6時に東急田園都市線に着くと本数を減らしての運行となっていた。それでも結構混雑していた。

出社しても出社困難な同僚多数。輪番停電の初日は私の勤務先も混乱を極めた。

火曜日、電車の運行はやや緩和されたようで穏やかな状態。ところが、原発のmeltdown問題が再燃。都内でもコンビニ/スーパーの棚から商品が姿を消し始める。ガソリンスタンドは長蛇の列。皆がパニックとなり、商品を買い込んでいるらしい。私は絶対にやるまいと心に誓う。

22日、妻を岐阜県土岐市に帰省させた。元々里帰り出産のために帰省する予定だったのを前倒した。

それから3週間、首都圏は平穏を取り戻しつつあるやに見受けられる。しかし、この災害が日本に与える長期的なインパクトは量り知れない。

 

この記事を書いている人 - WRITER -
アバター
'79年生まれ。1浪2留の流浪期を経て'05年に早稲田大学商学部卒業。 現在は金融業界で会社員として勤務。英文翻訳が得意。 ラグジュアリー全般に関する考察と海外発の腕時計情報をいち早くお届けします。











Copyright© 鰯の飽くなき収集癖 , 2011 All Rights Reserved.