『文明の衝突』『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』
1998年夏、19歳の私が手に取った衝撃的な書がHarvard大 SamuelP.Huntington教授著の”The Clash Of Civilizations And The Remaking Of World Order” いわゆる“文明の衝突”である。
原文はForeign Affairs誌(大学時代生協で買ったのを思い出す)に連載されていた。あえて原題を示したのはこの論文の後半が西欧が現在の優位性を維持するためにいかなる戦略を採るべきかをテーマにしているからだ。つまりWorld Orderを再構築すべきは西欧であるとのHantington氏の意図が汲み取れる。この点に非西欧人の批判がありそうだ。
当時私が下線を引いたのはいかにも十代の少年らしい。“西欧の消費のパターンと大衆文化が世界に広まった事で普遍的な文化が形成されつつあるという説が提起されている.この主張は深遠でもなければ適切でもない.(中略)大衆文化と消費材が世界中に広がっている事が西欧文明の勝利を表すと主張するのは、西欧文明を軽んずる事になる.西欧文明の精髄はマグナカルタであって、マグナ(ビッグ)マックではない。非西欧人がマックのハンバーガーに飛びついたからといって、彼らがマグナカルタを受け入れるという事にはならない”
訳者の鈴木主税氏はあとがきで中国の儒教−イスラム・コネクションを97年のアジア通貨危機からシナリオの修正が必要かもしれないと述べているが、少なくとも今日現在の東アジアの状況を見るとHantingtonの主張はやはり正しかったと言わざるをいえない。イスラム諸国と米国の関係に至ってはもはや予言ともとらえるべき精緻さで描かれている。歴史に残る論文であることは間違いないだろう。
とはいえ、Hantington氏が主張する普遍的ではないにしろ、西欧文明のその繁栄の礎となった“民主主義”という概念にはいささか理解に苦しんでいる。
大学の最後の年に読んだのがMax Weber著“プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神”。ピューリタンのストイシズムが結果として富の蓄積への道を開き、資本主義の開花に図らずも貢献したというのが大筋の読み方であろう(訳者の大塚久雄氏でさえ50回以上読まなければ理解できなかったくらいなので、私も大学時代に社会学の講師の力を借りながら読んだが、いまだ学の徒にある)。
“精神の無い専門人、心情のない享楽人。この無のものは、人間性のかつて達した事のない段階にまで既に登り詰めた、と自惚れるだろう” プロテスタンティズムから分離した競争の世界に生きる現代にこの言葉はどんな意味を持つのだろう。私の書棚に並んでかなり時間が経つ2冊だが、未完の書として時折私に語りかけてくれるような気がしてならない。
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