読書

アイン・ランド著『水源』は青春時代のうちに読んでおくべき

アイン・ランド(Ayn Rand 1905-1982)の『水源(原題:The Foutainhead)』を読んだのはもうかれこれ4年以上前のことになるのですが、これを読むと世界の見え方が少し変わりました。だからこそ、イェール大学では新入学生の課題書になっています(確か)。若いうちに読んでおけばよかったな〜と後悔しました。

実際、1,000頁を超える小説なので、(僕と違って)時間のないオトナは読む機会ないでしょうね。僕は3日かけて貪るように読みました。この本が書かれたのは何と1943年ですが、日本語訳が登場したのは2000年代に入ってからです。日本に紹介されたのがこれほど遅れたのは、ぶっ飛んだ厚さの本になることと、思想の新鋭さなんだろうな。

主人公の建築家ハワード・ロークにはあまり感情移入できませんでした。彼はは個人主義(individualism)を体現している人物であり、自分の人生をストイックに歩みます。個人主義がいきすぎて(?)、ヒロインであるドミニク・フランコンを強姦してしまいます。

僕が共感するのは主人公を取り巻くセコハン人間(second hander)達です。とりわけ、評論家エルスワース・トゥーイーのセリフは光っています。例えば、

『イエス』にせよ、『ノー』にせよ、そう言えるだけの見識、能力というものが、所有権の本質です

思わず、自分の言葉として語ってしまいたくなります。僕もsecond handerな人生歩んでるもんな… 僕が寂しさを感じてしまったシーンは、元売れっ子建築家ピーター・キーティングが借り物の人生から自分の人生を歩もうと決め絵を描き始めるのですが、建築家として成功しつつあるハワード・ロークに見せたところ、彼からは「もう遅いな」と言われ肩を落とす場面です。

ここは自分を見ている気持ちになって泣いてしまいました。今改めて考えると、ハワードに評価を委ねてしまうところにピーターのセコハン人間たる所以を感じてしまうのです。 人生は自分の思い通りに、若いうちから動け!というのがこの小説からの教訓ですね。僕も心から共感します。

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