K.Iwahashiが語るラグジュアリー論







悲願達成!グランドセイコーフリースプラング Cal.9SA5の登場が意味するもの

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'79年生まれ。1浪2留の流浪期を経て'05年に早稲田大学商学部卒業。 現在は金融業界で会社員として勤務。英文翻訳・映像翻訳の実績多数。 ラグジュアリー全般に関する考察と海外発の腕時計情報をいち早くお届けします。

型コロナウィルスの影響でラグジュアリーウォッチに対するマインドも冷え込んでいる2020年3月5日、グランドセイコーから朗報が届いた。何と新作ハイビート36000に搭載される新ムーブメントにフリースプラングを採用したのだ。

グランドセイコーの機械式ムーブメントは従来より緩急針で精度調整を行う方式のムーブメントを採用してきた。これは精度調整のマージンを大きく取れるものの、ヒゲゼンマイの有効長を金属棒で強制的に介入するもので、当然ヒゲゼンマイとの摩擦によって金属疲労を招くことから長期精度維持には向かないとされる。そもそも、緩急針調整ネジは外観が魅力的ではない。それに組み合わされるテンワがスムース(ツルツル)なのも好きになれない。

緩急針を採用するメーカーは数多く、代表的なメーカーにスウォッチ傘下のETAがある。僕も40歳を超え人間が丸くなったので今となってはETAの良さがわかるのだが、かつてはETAムーブメントは安物時計にポン乗せ(納品されたものをそのまま載せる)する存在として忌み嫌っていた。

グランドセイコーはETAと非常に似通った9Sメカニカルを、トランスパレントケースバックから見せるようにしており、それで世界に挑戦しようというのだから、僕は日本人として非常に恥ずかしい思いをしていた。

セイコーを擁護するとすれば、緩急針方式は設計が前時代的ではあるもののセイコーは合金技術の向上で、その不利な面を克服してきたのだろう。実際、グランドセイコーの機械式の精度は非常に良好で、日差+2秒は当たり前というのが僕自身の経験から確認できている。

しかし、ロレックスが量産する高級機は全てフリースプラング方式という緩急方式を採用している。ロレックスのフリースプラングの歴史は長く、1960年代まで遡る。フリースプラングは、精度調整をテンワに取り付けた偏心錘を出し入れし、テンワのウェイトバランス(重心)を変えることで実現する。緩急針のようにヒゲゼンマイへの介入がなく、長期精度の安定にも貢献するというのがメリットだ。デメリットは調整幅が少ないため、組み上げ時点で精度が出るような工作精度の高いムーブメントでないと、メリットが生かせないという点だ。

フリースプラングはまず、見た目が良い。テンワに取り付けられた偏心錘は懐中時計や50〜60年代に見られた「チラネジ」を彷彿とさせるものだ。当時は緩急針での調整に加え、偏心錘でも調整を行うことで精度をやっとこさ出していたのである。ロレックス、雲上とされるパテック フィリップ、オーデマ・ピゲも呼び方、見せ方は異なるものの、古くからフリースプラングを採用している。2000年代後半になると、このフリースプラング・クラブにオメガとジャガールクルトが加わるようになった。

したがって、技術的な面で緩急針とフリースプラングのどちらが良いかを議論するのは、あまり意味がない。しかし、マーケットで高級機として目されているのはどちらの機構なのかと問われれば疑いなく後者なのである。したがって、グランドセイコーがブランドとして2018年にセイコーから独立して北米、欧州での展開に注力すると聞いた時、僕はかなりの危機感を覚えた。繰り返しになるが、ラグジュアリーウォッチとしての地位を築きたくば、フリースプラングムーブメントの採用は前提条件となるのだ。

かつて外観のゾッとするような美しさに惚れ込んでグランドセイコー復刻44GS SBGW047を2013年に入手した際に、セイコーのユーザー登録用のハガキにフリースプラングの必要性を切々と訴えたことがある。当時、特許情報でセイコーがフリースプラングに関する開発している様子は見てとれたものの一向に製品化されない状態に苛立ちを覚えたものだ。

だから、僕は自分に誓いを立てた。グランドセイコーがフリースプラングを採用するまで同ブランドの時計を購入しないというものだ。もしかしたら、自分が生きている間にはないと諦めていた。

そこにきて、セイコーフリースプラングの発表である。僕はこの報せを同僚から聞いて涙した。

しかし、グランドセイコーは単にフリースプラングを採用するだけでは良しとしていなかった。それをはるかに超えた改善点は新開発の脱進機である。この機構について詳細な解説をしているメディアがすでに複数先行しているのでここでは省略するが、従来のスイスレバー式とオーデマ・ピゲがデテント式脱進機を元にAP脱進機として再発明したもののキメラのようなものと推測できる。おそらく、オメガがコーアキシャル脱進機を製品化して以来のイノベーションではないだろうか。

外観も非常に美しい。まるで、ランゲ&ゾーネなどの高級ムーブメントを見ているようだ。オリジナリティという点では、グランドセイコーが戦うべきマーケットを意識し過ぎたきらいはあるものの、かなり良い出来栄えに見える。

巻き上げ機構はセイコー伝統のマジックレバーではなく、小型化されたリバーサー式と聞いている。そしてエネルギーの蓄積は、2010年からスイス各社がこぞって投入しているツインバレル(二重香箱)で、80時間のパワーリザーブを確保している。

課題が残りそうなのは耐磁性で、現状のスペックは4,800A/m(60ガウス)なので、ロレックスの10,000A/m(非公表値)はおろか、オメガなどシリコン製ヒゲゼンマイには遠く及ばない。

グランドセイコーが海外からの好感をもって受け入れられたのは、枯れた技術に過剰な手を入れて品質を上げたことだ。この好感は欧州系白人の傲慢さからくるもの僕は感じている。要は、「有色人種のわりに良いものを作る」という上から目線の奢りだ。グランドセイコーが今回果たしたアップデートを、今後は欧州の時計メーカーが「脅威」とみなすことになるだろう。今頃、特許侵害のネタを洗い出していることだと思う。グランドセイコーにとっては、功と同時に守も求められるようになるだろう。

グランドセイコーとしては、まずは初年で市場の様子見をすることになるだろう。まずはアドバルーン的にブランド誕生60周年モデルのSLGH002に搭載したというところだろう。100本限定のこの金無垢モデルをHODINKEE Japanがインスタグラムで実物公開しているが、息を飲む美しさだ。

SLGH002はケース厚が何と11.7mmと薄型だ。ムーブメントが薄く仕上げられているからである。今後手巻きムーブメントが開発されれば、ケース厚が10mmの壁を打ち破ることも夢ではない。

この9SA5とSLGH002について、HODINKEEのジャック・フォースターが詳しく解説している。海外の注目度の高さが窺える記事だ。是非ご一読されたい。

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