生誕50周年限定モデル第2弾!タグ・ホイヤー モナコ1979-1989 リミテッド エディション
誕生から50周年を迎えたタグ・ホイヤー モナコ。
F1モナコ・グランプリからインスピレーションを受けたこのモデルの特徴は、角型(スクウェア)ケースを持ちながら100m防水を獲得していることです。それだけ角型ケースに防水性能を確保することは技術的に難しかったのです。それまでクラシックな立ち位置にあった角型時計を一気にスポーツウォッチに仕立てた、という点で時計史に功績を残すモデルです。
タグ・ホイヤー モナコが脚光を浴びたのは1971年。スティーブ・マックィーン主演のドキュメンタリータッチの映画「栄光のル・マン」彼の右手に巻かれたのがモナコ クロノグラフなのです。
その誕生を記念して2019年中に10年ごとの時代を象徴する限定モデルをタグ・ホイヤーはリリースすることになっています。その第2弾としてタグ・ホイヤー モナコ1979-1989が登場しました。
僕がこの第2弾を待ち望んでいたのは、この時計が僕の生まれ年1979年から僕にとっては甘美なる1989年までの10年までを象徴するモデルであるからです。
1979年と言えば、第二次オイルショックが始まった年です。第一次オイルショックが第四次中東戦争によるOAPEC加盟国の親イスラエル国への制裁的価格引き上げによるものだったのに対し、第二次オイルショックはイラン革命による需給逼迫とOPECによる段階的引き上げによって、原油高騰の余波は1983年まで続きました。
このような時代背景から1979年から80年代前半は高級時計も不作の暗黒時代でした。
時代の波が確かに変わったのは1984年。ジョージ・オーウェルの『1984』にオマージュを捧げたアップルコンピュータの第18回スーパーボウルの有名なテレビCMが放映されたのもこの年。日本ではTMネットワークがデビューしたのもこの年です。
僕は1980年代半ばには父の駐在先のパプア・ニューギニア マダン州で生活していましたが、友人のオーストラリア人とマイケル・ジャクソンの『BAD』を聴きながら踊り狂うような日々でした。父と治安の悪い首都ポートモレスビーで『キャプテンEO』を観たのもこの頃です。
1988年に日本に帰国した僕を待ち受けていたのは、バブル期の東京でした。杉並区の社宅暮らしの我が家にも、社会の飽食状態というのがまざまざと伝わってきて、小学校の担任の先生は、土地はこれから永遠に価値が上がり続けると真顔で生徒に語っていたのを覚えています。
1989年には周囲の同級生たちが中学受験の準備を始め、塾通いで忙しくしているのを見て、あぁ自分はアウトサイダーなのだなと実感しました。吉祥寺・サンロードのロッテリアで美しいカップルをジッと眺めていると男の子が僕にウィンクして見せました。実に1989年らしい甘美で退廃を感じた瞬間でした。
そんな個人史もありつつ、1979年からの10年は社会がダイナミックに動いた10年間だったと思います。それは進歩とは言えないのかもしれないけれど、日本の1941年から1951年が激動であったとすると、社会とはかくも流動的で刹那的であることを示したのが1979年から1989年であったと思います。
前置きが長くなりすぎましたが、そんな時代を象徴するのにサンバーストのレッドほど適格なダイアルカラーはないと僕は思います。担当したデザイナー(というよりはマーケター)は僕と同じくらいの年齢で、この10年間に余程思い入れがあるのではないかと確信を持っています。
30分までしか計測できないクロノグラフもショートメモリーな時代の雰囲気にはマッチしています。
タグ・ホイヤー モナコ1979-1989は限定169本。僕としてはかなり入手したい1本です。
基本情報 | |
メーカー | TAG Heuer |
モデル/型番 | Monaco 1979-1989 Limited Edition/Ref.CAW211W.FC6467 |
直径 | 39mm |
ケース素材 | ステンレススチール |
防水性能 | 100m |
価格/発売時期 | 705,000円(税抜)/限定本数169本 |
ムーブメント情報 | |
キャリバーNo. | Cal.11 |
巻上方式 | 自動巻 |
振動数 | 28,800 |
調速機構 | 緩急針 |
パワーリザーブ | 40時間 |
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