K.Iwahashiが語るラグジュアリー論







「ラグジュアリーと日本人とインターネット」がよくわかる3冊

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'79年生まれ。1浪2留の追加モラトリアムを経て'05年に早稲田大学商学部卒業。 現在は金融セクターのIT部門にて(マジメに)勤務。 時計や車などのラグジュアリー、服飾、DTM、それらにまつわる書籍の記事が得意です。

Such a waste of talent. He chose money over power. Money is the Mc-mansion in Sarasota that starts falling apart after 10 years. Power is the old stone building that stands for centuries. I cannot respect someone who doesn’t see the difference.

House  of Cards season1(2013)

冒頭に引用した台詞は僕が大好きなケビン・スペイシー(Kevin Spacey 1959-)がドラマ「ハウス・オブ・カード」で演じるフランシス・アンダーウッドが米民主党院内総務時代に発する名台詞中の名台詞です。

邦訳すると陳腐になるので止めておきますが、「富(MONEY)」は10年で朽ち果てる湿度の高いフロリダ州のサラソタに建つ豪邸のようなものであるのに対し、「権力(POWER)」は何世紀もの間残り続ける石造りの建築物のようなもの、と富と権力に関する見事な洞察を披瀝しています。

主人公であるフランシス・アンダーウッドは民主党の院内総務から遂には大統領まで登りつめるのですが、副大統領時代まで彼の腕にはIWCのクロノグラフが見てとれます。ところが、大統領になると腕時計を身に着けなくなります。この相違について僕は疑問を抱いていました。

そして、僕が最近関心を持っていることは「ラグジュアリーの本質は何だろう」ということ。

このブログでもラグジュアリーな品を紹介することが多いのですが、何が僕たちをしてここまで魅了するのでしょうか。

早稲田大学商学研究科(大学院)の長沢伸也教授はラグジュアリーを専門に研究されているということで、訳書、監訳書など関連する3冊の書籍を精読しましたので、紹介します。

まずはイタリアのカプフェレ&バスティアン共著の「ラグジュアリー戦略」から。この本は2008年頃の発表で、リーマンショックの直前期です。

この本で学べるのはラグジュアリーという概念の起源です。


元々は貴人の副葬品から出発したラグジュアリーが、産業革命を経て遍く人々に浸透した結果、現代では社会の再階層化としての役割を果たしているというのがこの論文の概要です。

先のフランシス・アンダーウッドが大統領となって時計を身に付けなくなったのは、社会階層の頂点に上り詰めたことで再階層化を必要としなくなったという見方もできるのです。あるいは、権力の永続性を志向する中で、死を想起させるラグジュアリーは自らの弱さを象徴することから敢えて距離を置くのかもしれません。

権力者がラグジュアリーの官能に溺れないのは、ごく自然な成り行きなのかもしれませんね。

不平等主義社会における社会階層化の所産であるラグジュアリーは自由平等化社会の生みの親となった。

ラグジュアリーの特徴は皆さんも肌感覚でわかるでしょう。

「依存症的効果(non-return effect)」あるいは「ラチェット効果(rachet effect,訳注:景気変動の過程で所得が減少しても、消費者が過去の所得水準の切り下げに抵抗することにより、景気の下降をある程度食い止めること)」

日本人にとってラグジュアリーとは「ファッション」や「芸術」を想起させるものだそうです。

ラグジュアリーは、芸術家が生計を立てる手段である。ラグジュアリー産業の仕事をすることで、芸術家は、芸術作品を追求しながら、まともな暮らしができるのだ ー 例えば、才気あふれる彫刻家セルジュ・マンソー(Serge Mansau)は高級香水の瓶のデザイナーでもある。

国民性によってもラグジュアリーの捉え方は違います。例えば数多くのラグジュアリーブランドを擁するフランス。

フランス人にとってラグジュアリーとは知る人ぞ知るものであり、こっそり自分で楽しむようなものと考える文化がある。(中略)イタリアでは、ラグジュアリーは芸術から着想を得る。

一方、同じアジアでも日本と中国でもラグジュアリーの作り手としては大きく異なるようです。

日本人は極限まで形(shapes)にこだわるが、中国人は極限まで細部(details)を複雑化するだろう。The opposition between luxury and relocation

しばしば、僕たち日本人が犯しがちなのが、プレミアムとラグジュアリーの境界線を曖昧にしてしまうことです。

プレミアムの延長線上にラグジュアリーの地位(Status)に達しようとした例は豊富にある…そして、、失敗も同じ数だけ多い。

レクサスは国内や北米では一見成功しているかのように見えますが、ラグジュアリーの矜持を保つヨーロッパにおいては未だ受け入れられていません。なぜでしょうか?

レクサスは名声という、ラグジュアリーに必要な側面が足りないのである。この国内ブランドには、血統(pedigree)もないし、歴史もないし、文化もない。つまり、トヨタ車で最上級の車(the upper end of Toyota’s range)というだけである。

2008年当時のブランド価値ランキングも興味深いですね。超ニッチな腕時計専業のロレックスの6位というのも非常な驚きです。

純利益率が売上高の35%以上で、継続して20年以上売り上げているものは大スターブランドと言ってよく、ルイ・ヴィトン・マルティエやロレックスのように、ニッチ製品に力を入れているブランドである。

 
順位 ブランド 親会社 ブランド価値(10億ドル)
1 ルイ・ヴィトン LVMH 25.7
2 エルメス エルメス・インターナショナル 9.6
3 グッチ PPR 9.3
4 カルティエ コンパニ・フィナンシエール・リシュモン 9.3
5 シャネル シャネルS.A. 8.7
6 ロレックス モントル・ロレックス S.A. 6.3
7 ヘネシー LVMH 5.4
8 アルマーニ アルマーニ 5.1
9 モエ・エ・シャンドン LVMH 4.9
10 フェンディ LVMH 4.7

出典:ミルフォード・ブラウン(Millward Brown)2008 BRANDZ データモニタ社

ラグジュアリーブランドがどのように価格形成しているかの手法も非常に興味深いですね。

ラグジュアリー腕時計と金1ozの価格が二つ目の例を提供する。金の重量による腕時計やブレスレットの小売価格の比較研究によって、ラグジュアリーブランドの地位を確認することが可能となる。カルティエは組織的にこの調査を行なっており、さほど名声があるとは言えないブランドからの隔たりが30%を下回る水準まで落ち込んだ場合、警鐘が鳴らされる。価格プレミアムとは何か?

ラグジュアリーとインターネットの関係は、現状あまり効果的とは言えないようですね。決定的に欠けるのが官能性ですね。例えば、腕時計はリューズの巻上げ感を確かめることはインターネットではできないですね。

今日のインターネット世界は官能性がそがれる世界で、経験が十分には伴わない。インターネット正解は透明かつ明確な世界である:ラグジュアリーは暗黙的である。

ラグジュアリー商品に対して、我々が薦めることは明白である。すなわち、インターネット経由で常にコミュニケーションし、インターネット上で決して販売しないのだ。

ラグジュアリー戦略におけるインターネットの役割は、その手段と社会文化的環境とともに進化するであろう。

よくラグジュアリーブランドが有名人を起用する場合のコンセプトにも狙いがちゃんとあります。

有名人をブランド大使(brand ambassadors)として利用する場合、貴社は「非凡な人々向けの平凡な製品(ordinary product for extraordinary people)」という概念に自身を位置づけている。

ロイヤル・オーク(オーデマ・ピゲ)時計は60万ユーロ(非凡な人々のための普通の製品)から8,000ユーロ(平凡な人々のための非凡な製品)という価格が付けられている。

僕が大好きな革製品。Fugeeの藤井幸弘さんも非常にストイックさ感じたものでした。こうしたアティチュードもラグジュアリーを支える一面なのです。

革製品の厳しさと生真面目さは、ファッションの「目立ちたがり」な側面とは全く異なり、また、革の専門家気質は時計製造の専門家気質とは全く共通するものがない。収益性が高い中核事業でのラグジュアリー製品の実用モデルにおいて、避けるべき落とし穴は何か?

アップルのラグジュアリー戦略についてもiPhoneを例に取り上げています。10年後、やはりiPhoneはコモディティー化してしまったように思えますね。

逆張りの法則第13番「需要を増やすために、時間が経つにつれて価格を引きあげろ」に反して、アップルはその後間も無く、唐突にその価格を(599ドルから)399ドルに引き下げ、他社のスマートフォンと同じ水準に置き、そのイメージに重大な危険性を背負った。

ラグジュアリーには炎上商法はそぐわない。2016年に発表されたH.モーザー&cieのアルプ・ウォッチのアプローチはラグジュアリーブランドとしてはやはりご法度という気がします。

ラグジュアリーは過剰(excess)や挑発ではなく、また過剰や挑発はラグジュアリーさでないということを再度言う必要がある。

将来有望なラグジュアリー商品として挙げられているのは意外なものでした。

有機食品(organic products)はラグジュアリーマーケティング戦略とぴったり合致する。それらは夢を与えてくれるのだ。

色々と示唆に富む本書ですが、ラグジュアリーとは「死の匂いを感じさせるモノ」なんですね。僕たちがフェラーリやポルシェなどのラグジュアリーカーに熱中するのも、車がとりわけ「死に近い」プロダクトであるからなのかと思わずにはいられません。

2冊目はラグジュアリー商品の中でも構成比10%程度の高級時計について書かれた論文「ラグジュアリー時計ブランドのマネジメント(変革の時)」です。時計業界のマネージャー以上のクラスの人は皆読んでいる本です。

原書は仏語で、英訳書「Contemporary Challenges for Haute Horlogerie」をさらに邦訳した上、翻訳は長沢研究室の院生の方々の分担制ということもあり、非ッ常に読みにくく、意味を為さない箇所もちらほらです。何度か寝落ちした挙句、ようやく読破しました。

この本が書かれたのは2009年の上半期。主に時計業界の重鎮に対するインタビューで構成されているのでが、リーマンショック直後ということで、皆さんやや悲観的な論調でした。

まず、聞き慣れない「オート・オルロジュリー」の定義。

ザ・アワーグラスの桃井敦は「haute horlogerie(オート・オルロジュリー)は、この上なく複雑な仕掛けの時計である。」と簡潔にまとめてくれた。

SWISS MADE表記がなぜ重要かについて。

ラグジュアリー製品は、原産地を感じさせる断片を伴っている。だからこそ、自らのルーツに必ず忠実で、その正当性を保持しうる場所で製造される必要がある。Kapferer & Bastien 2009

ここでも、ラグジュアリーとプレミアムははっきり区別されています。

高級時計には4つのクラスターがあり、頂点に君臨するのが「匠の技に特化した高級時計(Watchmaking masters)」のクラスターである。「ラグジュアリー時計」と「プレミアム時計」および「技術と美観を両立させる高級時計(High Watchmaking)」のエントリーモデルの3つは、おそらく互いに直接的な競合関係にある。

僕はあえて、そのブランドを代表するモデルは避ける傾向にありますが。

日本の顧客は、各ブランドにとって、そのブランドの強烈な識別子であるような1つのモデルだけに集中する傾向がある。様々な製品モデルを基準にして時計を選ぶのは、真の愛好家だけである。

僕は貧しくはなかったけれど、モノが少ないパプアニューギニアで暮らしていた頃、宝物だったのはカシオのデジタルウォッチです。それが今の時計好きに繋がっています。

裕福な環境で育たなかった人は、自分にとって思い入れの強い単一の商品カテゴリーに所得の大部分をしばしば費やしてしまう。

僕は「機械式ムーブメント愛好家」であり「時計投資家」だと自認しています。

成熟市場における高級時計顧客のプロフィール。機械式ムーブメント愛好家。時計愛好家。情緒面に駆り立てられる消費者。時計投資家。顕示的消費者。個人的な悦びを重視する消費者。

時計蒐集家のハードルは意外と低いのです。

便宜上、5つ以上の高級時計を所有している人を時計蒐集家と見なすことがよくある。

この書籍では若い人たちが時計を身に着けないという点に、2009年の時点から注目しています。

マーケターは、現地の感性に従って、初心者向けのコレクションを解釈するべきである。X世代を啓発する

成熟市場では、20代の多くの人々が時計を身につけてさえいない、という証拠が増えつつある。Y世代と繋がる

高級時計における新製品の発売は、他の個人向けラグジュアリー商品と同様に、家族が新しい子供を迎える時と同じ仕方で管理されるべきである。

やはりこの書籍においてもインターネットの流通参入に対して否定的ですね。

インターネットは、多くの事業分野でビジネスを後押ししているとはいえ、まだ信頼しうる流通チャネルではない。

高品質な時計には触れるべきだ。それ官能的なものであり、インターネットでその夢を伝えるのは殆ど不可能だ。

小売業の観点から、補完的な販売チャネルとしてインターネットを興味深く活用しているのが、日本のGRESSIVEである。

日本では1,000を超える並行輸入業者がいて、その存在はブランド価値を侵蝕しているといいます。

H.Moser & Cieのユルゲン・ランゲは、このことを確認している。「匠の技に特化した高級時計ブランドに取っても課題は、ブランドの正当性・国際性及び公正な価格設定を促進することである」。

最後に、長沢研究室の講義録として「ラグジュアリーブランドの実際」という書籍を入手しました。この本の出版は2018年と先に紹介しました2冊から約10年の時を経ている点で知見がより洗練されています。

クォーツ時計が低価格化したのは、スイス勢の戦略だったという意外な事実。

今もスウォッチは人気時計で、皆さんどなたも一度はされたことがあると思うのですけど、目には目を、クォーツにはクォーツを、切り返した。当時1980年代、平気で機械式時計の3、4倍の値段をしていたクォーツ時計を、あっという間に1万円前後にしてしまって、日本の時計産業の急成長をいきなりどん底に突き落としたという、ものすごい戦略。

日本において、時計のブランディングに大きな役割を果たしたのが時計専門雑誌です。1997年に2冊だった時計雑誌は2017年には10冊です。分岐点は1997年だったという話。1997年といえば、パテック・フィリップがアクアノートを発表した年でもあります。

ロレックスで1997年というと、もう一つのエポックがありました。<中略>意図的にマーケティングで伸びていくブランドもあれば、逆に、マーケットが勝手にブランディング化していくという現象が起こったのがロレックスでした。日本が拓いた高級機械式時計市場

私が敬愛する奥山“KEN”清行氏にも言及が!

今、山形に帰られているKEN OKUYAMA(奥山清行)ですね。あの方が雑誌のインタビューで面白いことをおっしゃっていたのが、「ラグジュアリーとは、不必要なのに欲しいもの」だそうです。

既に消滅したブランド名を購入して、さも古くから存在するかのように売出す手法はジャン・クロード・ビバー氏が開祖なのですね。

あの方(ジャン・クロード・ビバー)は、もともとブランパンという1980年代には死んでいたブランドを、確か200万円くらいで共同経営者ジャック・ピゲと折半して買収した、ベンチャーですよね。

僕らがよく知るランゲ&ゾーネなんかもこの手法で復活したブランドですね。日本でこの手法の重要性を理解しているのはシチズンでしょうね。ムーブメントメーカーのLa Joux-Perret SA(ラ・ジュー・ペレ)買収に始まり、フレデリック・コンスタント(Frederique Constant)やアーノルド&サン(Arnold&Son)を傘下に収めるなど世界戦略に邁進しています。

自分の会社をつくるためにブランドを買収するマネジャーもいます。ブランドを通して歴史を買うのです。私(注:ピエール=イヴ・ドンゼ)は学生時代、ラ・ショー=ド=フォンにある時計博物館の図書館で働いていました。1990年代の初めでした。たまに、ある小さいマーケティング会社の人が来て、古い本で名前や名字を探していました。19世紀に時計を作っていた人を見つけて、その名前がブランドとして登録されていないなら買う。

一方で、世界の趨勢を全く理解していないのがセイコーです。長沢教授はCal.9S85を非常に高く評価されておいでで、ご自身も所有されているということですが、そもそもフリースプラングでないことから、ラグジュアリーブランドとしての地位の確立は難しいでしょうね。

私が買ったのは、グランドセイコー  メカニカルハイビートGMT約70万円です。<中略>私はメカニカルハイビートを最も評価していますので購入しましたが、グランドセイコー が欲しい人はクォーツの30万円からのモデルも買える。セイコーさんは何に力を入れてらっしゃるのか、私的にはちょっとわからない。

セイコーが濫造するヒストリカルコレクションにしても、駄目ですね。一見歴史を重視しているようですが、その歴史の空気感を纏っていないんです。あくまで自社の歴史の懐古主義でしかない。そこが非常に残念です。

グランドセイコー はオメガの前の世代の戦略です。アイデンティティじゃなくて精度。デザインを見てもアイデンティティーはわからないですね。コミュニケーションに関しても、精度以外は何もメッセージがありません。

僕はエクストリーム・ウォッチのリシャール・ミルについてほとんど理解していないのですが、歴史を持たずして業界でのポジションを獲得したのは超ニッチであることに徹したからでしょうね。リシャール・ミル・ジャパンの河﨑圭太社長の講義録は非常に興味深かったです。

とりわけ、リシャール・ミル氏自身が時計師ではなく、販売出身であったことに衝撃的な驚きを感じました。

私(河﨑圭太)が大沢商会にいたときに、リシャール氏は別のブランドのエクスポートマネージャーで、私は買い手側で、商談決裂したわけです。それで大げんかになって、二度と会うこともないだろうと思った時に、彼がつけていたのが彼自身のブランドの時計だったんですよ。リシャール氏の顔はもう見たくないと思っていたのに、その時計を見た瞬間に「あれ?」って。3000万円の時計リシャール・ミルはなぜ売れるか

この本はかなり面白かったです。

まとめ

3冊の本を読んで学んだことは、ラグジュアリーとは死の匂いを想起させるものであり、芸術的でもあり官能をもたらすものであるということ。

その性格から、インターネットによるコミュニケーションは限定的な効果しか得られない。

日本人はラグジュアリーとプレミアムをしばしば混同することから、トップノッチな超高級品は逆に浸透しにくいマーケットであること。

今後もラグジュアリーについて理解を深めたいです。

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'79年生まれ。1浪2留の追加モラトリアムを経て'05年に早稲田大学商学部卒業。 現在は金融セクターのIT部門にて(マジメに)勤務。 時計や車などのラグジュアリー、服飾、DTM、それらにまつわる書籍の記事が得意です。
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